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デザートのマナーと知識14

    

デザートのマナーと知識M バウムクーヘン
「ザルツブルグはもう冬だろうか、ヴァイオリンを抱え、石畳の道を歩いて行く君の姿が瞼にうかぶ。背筋をすっと伸ばして、少しの惑いもない、昔のままの歩様で。勝手ばかり言ってすまないけど」(中略)浅田次郎の見知らぬ妻への一編「スターダストレビュー」のくだりがとても好きです。

冒頭から少しキザっぽい文章の切り口ですが、ドイツを思い描いた時、この一遍が出てきます。子供の頃を振り返って見れば、紗にかかった記憶しかなく、何時食べ、何時ごろ知ったのかは覚えていません。木の年輪をイメージしたお菓子なんだな“その程度の記憶しかありませんでした。ただ、ユーハイムのバウムクーヘンがとても美味しく洋菓子の素晴らしさを教えてくれた一つであったのは間違いありません。

今をときめくフランスのデザート、ケーキの類。ましてや、一般の方が、お菓子職人をフランス語で「パテシエ」と表現しても理解出来るようになったのは、この20年程ではないでしょうか。それ以前は、これが正しいかそうでないかは判りませんが、一流ホテルのデザート、ケーキコーナーもドイツ菓子職人出身者が主流を占めていたと記憶しています。

 ドイツの伝統菓子「バウムクーヘン」を日本で紹介してくれたのがドイツ人「カール・ユーハイム氏」でした。第一次大戦後に日本で店を構え、洋菓子の魅力を現在まで伝えてくれたマイスターでした。基礎的で、潜在的な日本の洋菓子イメージは、ドイツ菓子から浸透し始めたのではないかと感じます。当たり前に記憶に刷り込まれた洋菓子として誰でも知っている味、そして形状。理屈抜きで美味しいと感じる事の素晴らしさ・・偉人がいて現在が有るとつくづく思います。

 音楽の都・ウィーンが生んだ世界で一番有名なチョコレートケーキに「ザッハトルテ」があります。作者はフランツ・ザッハ氏。作者の名前からザッハ・トルテとなり、氏亡き後に息子がホテル・ザッハを開業するも営業が力及ばず失敗。当時の王室御用達のケーキ店「デメル」が援助をし、ホテル・ザッハの息子とデメルの娘の婚姻が結ばれるも、その後、二人が亡くなり、ザッハトルテの商標をめぐり7年間の裁判の後、ホテル・ザッハのものを「オリジナル・ザッハ・トルテ」と呼び、デメルのものは、「デメルのザッハ・トルテ」となり、門外不出のレシピは、味は元より話題にも事欠かないものになりました。こんな経緯を踏まえる程に伝統のチョコレートケーキの名声は不動の地位となりました。「ザッハトルテ」や「デメルのザッハトルテ」は、一度は召し上がる価値のあるものと思います。ここ日本でも支店がありますので是非一度食してみてはいかがでしょうか。

 こうした経緯から本物の味が生まれ、それを食すマナーも生まれて来ました。私自身ザルツブルグには行ったことはありません。もとより、ドイツに行ったことが無いのですから。それでも、小説の中でイメージを作り上げることは可能です。そしてなにより、食を通じて旅に出かけることは可能です。クリスマスの時期には、イエスキリストの生誕をお祝いするドイツ菓子「シュトレン」を食しドレスデンにも行けます。ザッハトルテを食べ、ウィーンの地にも。そして、バウムクーヘンを食べれば、日本で初めてその味を知らしめた「カール・ユーハイム氏」にも出会えます。食して歴史も頂ける。こんな好いことはないと思います。食後にはデザートのタイムマシーンに乗ってみるのも楽しいですね。

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