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日本に何時ワインが

    

日本に何時ワインが

◆日本でワインを最初に口にしたのは、中国への留学生・遣唐使が奈良時代、唐の時代の中国にて口にしたとか、しないとか、まことしやかに語られています。

1549年、ポルトガルの宣教師フランシスコザビエルが、キリスト教を伝えてから貿易商が織田信長に献上品としての一つとして現在の赤ワインに当たる物を献(けん)じたようです。歴史書によっても様々で、ザビエル当人が伝えたという物も有り、ストーリー性からすれば、後者のほうがドラマチックです。

ポルトガル語でティエントは「赤」を意味し、ティエント、ティエント〜ちんと〜ちんた。(珍太、又は珍陀)になり、言葉の活用なる外来語を作り、現在のワインという名称同様な感覚でとらえていたようです。

では、その「ちんた」の中身は? もちろん想像ですが、400年以上もの前の長い長い船旅を考え、運んでくることを想像しますと、現在のワインとはまったく違うタイプだったのではないかと思います。

例えれば、ブランデーに近い物であるか、ポルトガルから運ばれたワインですからポートワインの原型であったのか、いずれにしても、腐敗速度の遅い品物であっつたように感じます。当然現在と形状は違えど、ワイングラスも運ばれたでしょうから、チョンマゲ姿の高級官僚が接待を受け、ちんた(ワイン)についてのウンチクを傾けている人もいたでしょう。なんだか、今現在と変わらない様子かもしれません。

グラスの話がでたところで、関連した話を少し。

現在のグラス、ガラス製品は存在そのものを、透明感に求めていますが、その昔のガラス製品は透明性を出すその技術がなかった頃、やや黄ばんだガラス、グラスを使用していました。そのガラス、グラスが近年ステキだということになり(ノスタルチックでいて、アート感覚、それでいて利便性もある)旧態を新作ということで、大手メーカーが着手し始めました。
ファッションとして、近い時間にレストランで、取り入れてくる所も出てくるかもしれません。追求の限りの終わりは、歴史の繰り返しなのかもしれません。

さて、話を元に戻します。ワインが日本に入ってきて約400年の歴史の中で我々一般人が、ワインと本当の意味で親しみ、一般に完全浸透(あくまでも主観です)することが出来るようになったのは、今から14、15年前ではないかと思います。

昔の話ですが、私自身がプリンスホテル、ホテルセンチュリーハイアットに在籍した時代(1978年〜1985年頃)においては、ワインの存在価値はある一定のグレードで飲まれていたと記憶しています。その後、浅草ビューホテルに勤務を移し、ホテルオープンに携わり、ホテルオープンから3年ほどしてボジョレーヌーボーが完全に脚光を浴びました。

時はまさにバブリーな時代の真っ只中と一致し、御祭り騒ぎとなりました。

ワインが大衆化に拍車をかけたきっかけは、毎年11月の第三木曜日に出荷される、ボジョレーヌーボーが大きなファクターであったように感じます。

時代の祭りと、ワインの祭りが共存、共鳴し、ユーザー浸透の加速度を増して行き、現在のスタンスになったと感じます。

それにしても、異質な価値観を受け入れ、刺激を受ける事はいかに大事な事か、改めて歴史上の人物・フランシスコザビエル氏の偉大さと同時に、近寄りたくなる親近感を覚えてやみません。

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