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マラソン体験記
蛭間淳一

 

駒ヶ根高原
ホノルル
東京マラソン

 

ホノルルマラソン・旅日記   2005.12.11
 スタート15分前が英語と日本語でコールされる、早朝5時のスタートは、いかにも真夏の国ならではのマラソンスタート時間。
上空にはUSアーミーの大型ヘリコプターが28000人を見つめている。これだけのランナーが一同に介すのもホノルルマラソンならではであろう。いたる所に警察官が配備されておりテロの警備も充分だ。カメラのフラッシュ、様々な国のTVクルー、生きているのに死んでしまった人間が多い中、“生”を肌で感じる。突然、ものすごい音とともに花火が空を飾る。嫌がおうでも興奮してくる。

 10分前コールと共に、一足早く車椅子のランナー達を白バイ隊と、サポーターのロードレーサーが群集の興奮した奇声と声援と共にスタートを切る。いよいよ次は我々のスタートだ。位置取りは、3時間台の早い走者の列の一番前にする。周りは如何にも早そうなランナーばかりに見える。ゆっくりランナーの私がいる場所ではないことは百も承知だが、スタートからスタートラインにたどり着くのに20分も30分も待つ程の人数のマラソンである。この日の為にあらゆる情報を手に入れた結果の陣取りは、ベストであった。

 遥か高台から2005年のスターターに立ったのは俳優の坂口健二で在ったのを後で聞かされる。3分前のアナウンスから完全にトランス状態になり、気がつけば興奮状態のランナー達の怒涛の声が乱舞する中、私も「よっしゃ!」の大声を張り上げてアラモアナをスタートしていた。

 クリスマスイルミネーションの綺麗な街中をワイキキ大通りへと向かう。軽快な走りだ。ダイヤモンドヘッドの長い坂はきつかったが、朝陽が上る瞬間と、海を見ながらの走りは、まるで天国の様だ。後ろは判らないが15キロ地点でも誰も歩き出すランナーがいない。さすが「ホノルル」と感心しながら走る。下半身が自分の足ではない無い様な感覚に捕らわれる。まるで疲れがない。「これはしめた物」心肺機能も順調だ。苦しさを感じない、ウエストポーチには1時間に一個摂取のアミノ酸たっぷりのコンパクトジェルをエイドステーションの水と一緒に流し込む効果は計り知れない。努力と、科学と、声援は、マラソンの三位一体と言ったところだろう。

上りがあれば下りが来る。下りが来ると先人のランナーが一同に見える。圧巻だった。目的意識が一緒の人間をこんなに多く見たのは初めてだ。日本の大会では目にすることの出来ない夢の世界が見えた。28000人のそれぞれの人生の句読点、全員が完走を目指している。沿道からは、「ユーアーヒーロー!ナイスランナー!レッツゴー!レッツゴー!レッツゴー!」の大声援。おのずと気合を貰える。20キロを何時もより20分も遅いペースでもこれで良いのだと、何度も自分に言い聞かせる。長い道のり余力を後半に残しておかなければと考えての行動。途中折り返しのランナーの選手(ケニア人ランナーが上位を占めている)が続々と通り過ぎて行く。勿論日本人の有名ランナーも目にする事が出来た。同じ時間を世界クラスのランナーと一緒に走れることに小さな優越感を覚える。

 とにかく長い長いフリーウエィを過ぎ、折り返すと、30キロ地点にて“ドンと”来る腰の痛み、左足踵とアキレス腱の痛みが同時に来る。痛みを我慢して走るが、左足ふくらはぎが痙攣する。「もうだめだ。。」全ての痛みが回復するまでストレッチで凌ぐ。ついに止まってしまった。。。。

 悔しくて仕方が無い。気持ちを切り替え歩いたり走ったりを繰り返す、あと1キロの地点まで来た。大声援が後押しをしてくれる。白人女性ランナー二人組みをペースメーカーに見立て、彼女たちに付いて行くことにする。

 ゴールのカピオラ二公園に入った。あと少しで終わる安堵と、祭りの終わりの寂しさが交錯する。あと50メートル。。。。。あきらめずに良かった。「ランニングを趣味として良かった、生きてて良かった。。。。」沿道の声援と、ゴールカメラの列に飛び込むようにゴールを切る。

 笑顔と共に、涙があふれてきた。恥ずかしいのでサングラスで隠した。いくつになっても夢は叶えられると確信出来た・・・

 共に走った友人、清水雅志、HIS専属コーチの湘南ベルマーレ・トライアスロンコーチ中島氏、共通の世界観を持ったランナー中村、ランナー齋藤、ホノルルマラソンの全てのスタッフに感謝致します。

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